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『ばく』の隠遁生活

ひっそりと充実した生活を送りたい、のにドラマチックな人生を送ってます。読書好き。デザイナーの心の中いろいろ。

【映画】ニンフォマニアック感想。~5時間半を1日にでみたよ~

ストーリー

的にむき出しのドラマであり、色情狂を自認する女ジョーの誕生から50歳までのエロスの旅をあつかう。

寒いの夜、年配の独身セリグマンは裏路地でぶちのめされたジョーを見つける。セリグマンは彼女を家に連れ込んでケガの治療をし、彼女の人生について尋ねる。ジョーは高度にエロティックな人生についての淫欲にまみれた物語を8章にわたって語る。セリグマンは読書家でいろんな知識を持っている。彼はジョーの物語を、で読んだことに関連付けてゆく。

話は二巻・8章に分けられ、「第一巻」では若いジョーをステイシー・マーティンが、「第二巻」では後半生をシャルロット・ゲンズブールが演じる。

(引用 Wikipediaより)

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評価 

一言で言えば、とても重厚な映画。クラシック音楽みたいな重みがある。

セクシーな話とおもいきやかなり哲学的です。人間の欲望や心の複雑さを考えさせられます。個人的に女性の性のあり方や生き方や欲望を突き詰める。何かに依存すると言った内容にもともと関心があったので、とても面白かったです。精神分析学が好きな人なんかも楽しめるのではないでしょうか。まーこの主人公ジョーはステレオタイプではないけど、勝手に推測して語るのは面白いのかもしれません。

見たあとに、何かしらズシンと来る一作。

人間の精神の複雑さに興味がある人は見るべきです。

 

ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2) [DVD]

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いっときますけど、この映画全然エロくないです。

むしろ哲学的だし。

はっきり言ってプロモーションの仕方違うでしょって思う。

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↑このポスター見ると、なんかいろいろな人のセックスの葛藤のエロい話かなー

っておもうよね。

むしろそういう客を、困惑させて哲学させるのが狙いなら、かなりどSだな。監督。

 

個人的には、この映画のキーポイントは

物語後半で語られたセリグマンの

「これが男の物語だったら、もっと凡庸なものだっただろう。」

とか言ったようなセリフだと思う

(すみませんちゃんと覚えてなくて)

 

確かに、男が女に狂って、若いころ一日何人もやりまくって。

結婚してもやめられず、子供を留守中に転落事故で殺しかけても、

妻と子供から見放されても、別にそんなに罪悪感がにじみ出るような物語にはならない。

ただのダメ男。

でもこれが、女の口から語られる物語だから、我々を混乱させるのだろう。

 

今の社会規範、社会的な観念。倫理。

女は歳を重ねるごとに、若い頃は慎ましくしろ、恋愛などしないで勉強しろと言われながら、大学社会人になると女らしくしろ、結婚しろという圧力がすごい。結婚したら、他の男とは関係を持てず、慎ましく性欲などないよねって事になってる。

でも、高校生、女子大生、OL、主婦。

かれらも男と同じ、人間で生物で動物なのだ。だから性欲もある。

性欲は一生ついてまわる。でもそれは、赤裸々にあんまり語らない。

女はセックスを与えてもらわないといけない側だから。

 

主人公のジョーは、学者の娘に生まれ、一時は医学を学んでいた(つまらくなって学校をやめてしまうが。)彼女はただ、欲望を突き詰めた先を知りたかっただけなのだと思う。

なんか以前、お笑い芸人が愛人いっぱいいるって話の中で

学歴のいい子は特にエロかった。って話をしていたけど。

知的な人間は好奇心も強い。

彼女は彼女よりも知的ではない男から与えられるつまらないセックスに満足できなかっただけなのだと思う。

 

彼女にニンフォマニアック(色情症)は過去の暴力や性体験のトラウマとして書かれていない

ことからもこれは明らかだと思う。

 

過去の性的暴力などの悪夢の体験を塗り替えるために自分から奔放になったり、自傷行為の一環として性的行為に主人公ジョーは走っていない。

ジョーはSMや外国人、いろいろな種類の男(あっ、あと同性の女性相手も。)に手を出すなど、ただ性というものを知りたかったし、満足する快楽を知りたかっただけなのだと思う。(父親も研究者だったし)

 

研究、知的好奇心。その実験対象には彼女の言うとおり【愛】入らないのだ。

私はなんとなくその気持はわかるんだけど。

(ジョーの気持ちに共感できない女性が多い映画で共感できるとかいう、う意見をいう私はどっか壊れてますか?やばいですね。)

(愛情を感じることもできるけど、そこまでのめり込めるない客観的な自分がいつもいるのだと思う。)

ただその知的好奇心が、男が与えるセックスが規範の社会の中では受け入れられなかっただけなのだ。彼女は懸命に研究し、突き進んだ。その先にある破滅。

 

そう、これは男の物語だったら凡庸だった。女が性を極めようとしたからこのような結末になった。

そして彼女の意志で、セリグマンとの対話を通じて、女性としてのセクシャリティをすてて

新しい自分の人生を進みたいと語ったところで

セリグマンのレイプ未遂が起こる。

 

だよねって思いました。

女が自分の意志で女であることを捨てるのは難しい。

挿入される性だから。行為ではポーズとして受け身になる性だから。

誘惑する性だから。見られて選ばれる性別からは逃げられないのだろうか。

この社会で生きているジョーは幸せになれないのだろうか。

女が性を語ることがこれほどまでに不幸を呼ぶのだろうか。

 

いろいろと、思いましたね。

過去にトラウマがなくて、セックスを好奇心で極める女性。この映画を見るととても異常な印象を受けるのだけど、今落ち着いて考えてみると、性的欲求が大きすぎる女性って

セラピーに行かないといけないほど異常ですか?

それって私達の勝手な倫理観や社会的な思い込みも多少はあるのでは。

 

確かにジョーの通っていたセラピーには、過去の暴力やトラウマによって事象的に依存症になり治療の必要のある人もいたのかもしれないけど

ジョーは女に生まれた自分の性の奥深さを知りたかっただけで。

それをすることでビョーキ扱いされるのってどうなのかなって。そう思いました。

 

何度も言うけど、やっぱりこれは女の物語だったから、

観客は、困惑し、揺さぶられ、ものを考えるのだと思いました。

女が性を語ることは、自分の中にもタプーの感覚があるのだなって

考えさせられました。

見たあとにズシンと考えさせられるし、なんかすごくいいものを見た感じがありました。

 

知恵の渇望は人を滅ぼすのでしょうか?

女性が支配されたいっていう気持ちもわかる。

だからSM行為に走ったのではないかな?

現実世界ではジョーの頭の良さや知的さから、屈服したいと思える男がいなかった。

だからプレイとして支配される性としての欲望を満たそうとしたのでは。

 

金原ひとみとかもこういう赤裸々な行為の描写や汚い言葉(スラング)的な描写で

女性の性欲を描こうとしているんだけど、この作品は金原ひとみが女の欲を

晩年にどういう結果として文学を完成させるかに繋がりそうなものだなーとも思いました。

彼女の作品も愛っていうか欲望先行。バカにしている男ともやっちゃう。

 

もう一回見るのは面倒なんだけど。ラース・フォン・トリアーの映画は全部見ようと思いました。

人間の複雑さや、欲望。私が長年考えてきたことと同じようなことを追求しようとしているのではと

興味津々。この人はどんな結論を出すんだろう。

 

そして、欲の追求には孤独がつきまとうなとも思いました。(中村うさぎしかり。)

 

 いろいろ考えたんだけど、なぜ映画を見ていると主人公の生い立ちや

気持ちを「理解しようとしてしまう」んだろうね。人間の習性なのかな。

 

人間の気持ちは移ろうし、この話の主人公のジョーだって旦那を殺そうとしたのは

単純な嫉妬ではないと思う。人間の心は、一貫性を持たない。

どうでもいいと思っていたものが、きゅうに惜しく感じられることもある。

 

とにかく、真剣に見るのはなかなか大変ですが、面白かったです。