読書感想「壊れても仏像―文化財修復のはなし」(飯泉太子宗)
photoby:tinyfroglet
目が覚めると、周囲は壁に囲まれており真っ暗だ。
そして何やらかび臭く、むわんと蒸している。
ここはどこであろうか。
体を動かしてみるが、疲れているせいだかうまく動くことができず
腹ばいで動いた。
すると、一筋の光が見えた。ここはどこだろうか。
闇の中から外に出たせいかぐわんぐわんと眩暈がした。
ここは、お堂である。住職が経を唱える板の間だ。
大勢の人々。うつむきがちな母親。涙を流す親戚。よくある仏事の風景である。
目の前には大きな棺の中に横たわる娘。
その顔は・・・お春である。
頭が割れるように痛い。薄らぼんやりと市三は痛みと記憶を思い出してきた。
ともに心中した女が眼前に横たわっている。あの女の腹に刃を入れたのは
市三なのだ。
思わず、叫び声をあげた。だか、どうだろうか。キイキィと音がするだけで
誰も市三には気づかない。
市三は涙をぬぐった。両の手で顔を覆った。暗闇から這い出てきて気づかなかったが
両の手は生まれ立ての赤子のような皺にまみれ、爪が野放図に生えて薄汚れていた。
二の腕には束子の様な剛毛がびっしりと生えていた。
翌朝起きると大きなモモがごろんと眼前に置かれていた。酒もある。
腹が減っていたことに気づきむさぼるように食べてひたすら眠った。
それからのことは、あまり覚えていない。お春の葬式が終わり幾晩かはなすすべもなく悲嘆したのだが。ここはあまりにも心地が良い。凍上の季節というのに、適度に湿り気があり春のように暖かいのだ。また暗く狭い空間も母の胎内の様に心が安らぐ。
そして食物にも不自由しないのだ。毎日、美しく髪を結った女が椀にいっぱいの白飯や捥いだ果物を持ってくるのだから。まるでお供え物をされる神のような気分だ。
日が経つにつれて市三はお春のことなどすっかり忘れてしまった。此処は極楽だ。
自分は極楽に来たのだ。そして、幾年か過ぎた。
ある日。ガーンガーンというものすごい轟音で目が覚めた。
「見てください、大将。中にばかでかい鼠が巣食ってますよ。」
男は市三をつまみあげると、いかにも汚らわしいという所作で床に投げつけた。
市三は血まみれになった視界から見た。
確かにここは極楽だ。
市三は仏の腹の中に巣くっていた。巨大な老鼠だったのである。
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女と心中して、極楽に来たと思ったら。自らは畜生に堕ちていた。
皮肉なお話ですね。
というのはこの本を読んで、獏が思いついた話ですが。
たまたま手に取った一冊ですがかなり面白かったです。
仏像の修理をする職人である、仏師を長年務めた人の著した本なのですが。
★奈良時代の仏像が傷んでしまって江戸時代に上半身だけ挿げ替えたものがある。
そういった仏像は京都などの寺のお堂ではなく庭や周辺に雑然と置かれていることもあり。そうしたメインで展示されていない、仏像を観察するとむしろ面白い発見があるそうだ。
★水晶の玉眼がはやったのちの仏像やそれ以前の仏像は無理やり整形して
玉眼の仏像に作り替えられてしまった美容整形した仏像がかなりある。
仏像の腹の中には、胎内納入品を入れる場所があるものが結構な数であり。
それはちょっとしたタイムカプセルである。
★仏師の仕事はガンダムのプラモを組み立てるのと同じで、仏師がプラモデルを作ったらさぞや立派なプラモができるだろうということ。材料が違うだけで手順はおなじらしいです。
大体こういった仏師が仕事で感じたことや面白く感じたことを取り留めもなく、語るように書いており興味深い。
一番おもしろかったのはやはり、仏像は鼠のマンションのようになっているという話だ。大型の仏像には鼠が。小型の仏像には茶色いアレ。が救っており。修理をしようと動かすと山のようなふんが出てきたり。無視そのものが転がり出てきたりするらしい。
確かに動物の立場になってみれば、暖かく、湿度もあり、お供え物もある。
人間がめったに動かすことのない仏像の中に家を作るというのは賢い選択である。
何世代も仏像の胎内で生きていく虫や鼠の姿を想像すると、
何か因果なものや因縁を感じずにはいられない。
最近は自分が好む本をあえて読まずに普段選ばなさそうなものを
あえて通勤時読んでいるが。刺激があって、とても面白い。
この本を書いている人は東北芸術工科大学を卒業してから、重要文化財の修復をしたり、定年後は夫婦で一年半世界一周して文化遺産を見て回ったという。
ほかの本も面白そうだ。機会があれば読んでみようと思う。